方丈便り 第9号 中学3年生 04・06・26(土) 発行者:橋本
「無知の知」
君たちはこの言葉を耳にしたことがあるだろうか。
「むちのち」と発音だけを聞いてみても、何のことかよくわからないが
漢字をよく見れば、その意味することが理解できるだろう。
「知」とは「知る・わかる・理解する」ということ。
それに「無」という接頭語がついているのだから
「無知」とは反対に「知らない・わからない・理解していない」ということだ。
つまり「無知の知」とは「<理解していない>ということを<理解する>こと」となる。
どうだろう?少しわかってきただろうか。それともかえって混乱させてしまったかな。
「理解する」と言う言葉については、また別の機会に詳しく説明するとして、
今回は簡単に「わからない人に教えて、納得してもらえる説明ができる状態」としよう。
たとえば「マイナス×マイナス=プラス」という概念を、
君たちはわからない人にうまく説明して納得させられるだろうか。
−3×(−4)という計算が解けるからといって
「マイナス×マイナス=プラス」を理解したと思うのは早とちりだ。
さて本題に戻ろう。
君たちは問題に触れたとき、その問題をどの程度理解しているか考えているだろうか。
また、すらすら解けるからといって本当に理解しているといえるのだろうか?
もし「まだ完璧じゃない」と思えれば、授業に臨む姿勢も変わってくるだろう。
先生が他の人に説明している時、自分はあっているかといって話を聞かない。
よくわからない所があるが、周りは皆理解していそうなので、質問を避ける。
これらは実際の授業でよくみられる現象だ。
「わかったかどうか気にしない」のは「無関心」。
「わかった気になっている」のは「無知の無知」。
「わかっていないことを知る」のは「無知の知」。
自分に関心を持とう。そして自分の弱点を知り、向上心をもって改善していこう。
そうやって身につけた1つ1つが、君達の大事な財産に、そして将来大きな自信につながる。
期末テストも終わり、いよいよ「天王山の夏」到来だ。
定期考査とは違い、受験は3年間やってきたこと全てが試験範囲となる。
高校受験において、この夏はきっと大事な夏だろう。
授業中に話した、自分の理解度を表すチェックをしていこう。
全てを先生に任せていては、自分で問題を解決する能力はいつまで経っても身につかない。
自分でどこがわからないのかわかるまで問題をこなせるよう努力しよう。
それを「知」に、身につけられるよう、サポートするのがこれからの私たちの役目だ。
その努力ができないようであれば、今ここにいる意味はない。