方丈便り 第16号 中学3年生 04・09・04(土) 発行者:橋本
朝、起きたら家中のゴミを集め外に出し、家の表と裏の植木に水をやる。
これは三男坊である私に与えられた仕事だった。
しかし、父は時々思いの外、早くおき、私の仕事をしてしまう。
すると決まって母が怒られた。
「何であいつは起きて自分の仕事をしないんだ。」
今になって思えば、なんとも理不尽な行動だと思う。
当時も、なぜ直接私に言わずに、母を怒るのか理解できなかったが
自分のせいで、母が怒られるのは余計辛かった。
だから、たとえまだ空が薄暗くても、父が起きたら私も慌てて起きるようになった。
この家庭環境が理想的だとは露にも思わないが、
少なくとも私は、生まれて初めて接する「家族という社会」で、ルールを学ぶことができた。
「親の顔が見てみたい」
最近めっきり聞かなくなった言葉の1つだ。
子供が悪さをしたり、礼儀を知らなかったりするのは親の責任だ。というのだ。
しかし、学校の先生がそんなことをいうと、
「あなたにそんなこと言われる筋合いはありません。」
と、当の保護者が言ってのけてしまうらしい。
また「学校は勉強だけを教えるわけじゃないのでしょ?」
と、その責任を学校に負わせようとする親も、中にはいるそうだ。
自分の子育てに自信と責任が持てない親にとっては、ひどく心外な言葉なのだろう。
確かに子供のしつけは親だけではなく、学校やその他の環境、地域全体で培っていくものだ。
しかし、やはり親が一番の責任を負って然るべきだと私は思う。
「責任を負う」ということは、同時に権利を与えられるということだ。
もし責任を放棄するのであれば、当然権利も失うことになる。
さて、私もこんなことを書くと、君達の保護者からお叱りを受けるかもしれない。
しかし、私はそのようなお叱りは大歓迎だ。
私は君達に、単に「点の取り方」を教えるつもりは毛頭ない。
少なくとも卒業するまでには、身につけてもらいたいことがたくさんある。
そのために私は今、この仕事を続けているのだ。
一教育者としての責任はもとより、同じ地域で生活している者は皆、責任を共有している。
そして、それを人は「社会」と呼ぶのだ。
「自分があって周りがあるんじゃない。周りがあって、自分があるのだ。」
「あなたにそんなこと言われる筋合いはありません。」
君達は人から注意をうけた時、素直に反省することができるだろうか。