方丈便り 第25号  中学3年生 04・12・04(土) 発行者:橋本

 

 若いうちの苦労はかってでも

 

私達の身の回りで「不便だな」と感じることはなんだろう?

多くの人が「不便で仕方ない」と思うようなことには何があるだろうか。

 

すぐには思いつかない人も多いのではないだろうか。

今日、私達の身近な「不便」の大部分は「便利」になった。

 

もし「不便」がみつかり、その「不便」を便利にするアイデアが浮かんだら、

それは大きなビジネスチャンスだ。

つまり、今日の仕事の多くは「不便」を「便利」にすることで、成り立っている。

 

「不便」が「便利」になることは、決して悪いことじゃない。

そうして時間やお金に余裕ができれば、より「豊かな生活」を送ることができるはずだ。

 

人類はそうやって、あらゆる「不便」を解消してきた。

特別な努力をしなくても、何でも簡単に手に入る社会になった。

 

しかし、本当に多くの人類が「豊かな生活」を送れているのだろうか。

更に文明が発達していけば、不便を感じたり、不満を持ったりすることが

なくなるのだろうか。

 

到底そうは思えない。

どうやって満足したり、幸せだと感じたりするかは人それぞれだ。

不便や苦労を知らずに育ってしまっては、それが便利だとさえ気付けないこともある。

 

えてして「人間の成長」に「苦労」はつきものだ。

更に乱暴に言えば、成長したいなら、苦労するのが近道だ。

 

どんなに便利な社会になっても、便利だと実感できる人間に育たなければ、

「不便」と「便利」はいつまでたってもいたちごっこだ。

どんなに裕福になっても、満足する気持ちを持たなければ、人は幸せにはなれない。

 

世の中は放っておいても、変わっていくだろう。

しかし、自分は自分で変わるしかない。変えるしかない。

 

「便利な社会」だからこそ、落とし穴に気をつけよう。

 

 

「文明」によって、様々な「不便」が「便利」になって久しい。

そして、これからもっともっと、「便利」な世の中になっていくことだろう。

 

私達は、先人たちの知恵を普段意識することなく、当然ようにその恩恵を受けている。

どうだろう? たまにはそれを意識してみよう。

 

例えば、どんな不便が、どのよう(な発明・商品)によって便利になったのだろう?

それらを意識することで、きっと今より謙虚な気持ちをもてるだろう。





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